希望に満ちた新しい世紀であったはずの21世紀は、2001年の「9・11同時多発テロ事件」に始まり、世界が非常に暴力的な様子を呈した時代となっている。リーマンブラザースの経営破綻を含めた世界的な金融経済の崩壊は、更なる不機嫌・非寛容・傲慢・抑うつという心性を社会に増殖させ、個としての人間はそうした時代の大きなうねりの中で翻弄され、あまりにも無力のように思われる。
止まることをせずに飽くなき成長へと駆り立たせる根には何があるのか。現代を生きる人間は、立ち止まることのない方向性の中で、何か出口のない迷路を走り続けているようである。
農業、牧畜、養殖、林業、すべてのものが効率性と均一性を中心にまるで工業製品を生産するように大量に生産され、消費され、廃棄される現代社会。促成栽培、単一栽培、化学肥料、農薬、抗生物質、ホルモン剤、遺伝子組換え、クローン技術という人間の生み出した一連の技術は、使い方によっては、生きものとしてのいのちを機械としての生命に生まれ変わらせるあやうい魔法のように思われる。そしてその魔法を享受する人間が己の「分際」を忘れ去り、非人間化し自己そのものを喪失しつつあるのではないだろうか。
そもそも「いのち」とは何か。人間はどのような「いのち」を生きているのか。
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を記念して開催される「第5回親鸞フォーラム」では、「仏教と生命 −いのちのゆくえ―」をテーマに有識者と仏教者のシンポジウムをとおして現代人のいのちの受け止めを問い直し、あらためて人間存在とその生きる大地について一緒に考えていきたいと思います。












